なかむら9条の会

平和が好き! 憲法9条が好き!

日本国憲法九条

 

日本国憲法

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

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 このブログは、四万十市、特に旧中村地区に在住の方を対象に、『なかむら九条の会』の結成、運営、イベントやニュース等をお知らせしていきます。

皆さんのお力をお貸しください。そして、皆さんの意見やコメントあるいは寄稿文をお気軽にお寄せ下さい。

公にしたくない個人のプライバシーに関する内容や長文のご連絡は、下記のメール宛にご連絡ください。

メール    

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(アベ・ヒットラーの独裁を許さないために・・)

マルチン・ニーメラー牧師の告白

 

初めに奴ら(ナチス)は、共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声を上げなかった。

そして、奴らは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでも無かったから声を上げなかった。

次に奴らは、ユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声を上げなかった。

そして、奴らが私に襲いかかった時、私のために声を上げてくれる人はもう誰もいなかった。

 

  

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9条改憲NO! 3000万署名達成への決起学習会

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改憲許さない闘い、全力で

 名護市長選開票結果    

     当 20389    渡具知武豊 無新

        16931    稲嶺  進   無現

【記者の視点】名護市長選  敗者は日本の民主主義(沖縄タイムス
    稲嶺氏自身は公約を守り、民意を体現して阻止に動いてきた。日本が民主主義国家であるなら、工事は当然止まるはずだった。
 安倍政権は、既成事実を積み重ねて市民の正当な要求を葬った。民主主義の理想から最も遠い「あきらめ」というキーワードを市民の間に拡散させた。
 稲嶺氏の2期目が始まった2014年に辺野古の工事に着手。抗議行動を鎮圧するため本土から機動隊を導入し、16年の東村高江では自衛隊まで使った。
 力を誇示する一方、辺野古周辺の久辺3区に極めて異例の直接補助金を投入した。今回の選挙直前には、渡具知武豊氏が当選すれば新基地容認を明言しなくても再編交付金を出すと言いだした。何でもありなら、財源を巡る政策論争は成り立たない。
 安倍政権は名護の選挙の構図自体を4年かけて変え、市民から選択の余地を奪った。大多数の国民がそれを黙認してきた。
********************************************
悔しいねえ。私も先日沖縄へ名護市長選での稲嶺市長勝利を願い、ごまめの1匹の力を発揮するぞ…と行ってきただけに、余計に悔しい。
この敗北が沖縄の基地闘争に、そして全国の民主主義を守る闘争に与える重圧は、並大抵ではない。権力が牙をむいた時の力は大きい。改めて痛感しました。


敗因は(私の伝聞&推測)
①なりふり構わぬ権力の介入、締め付けを重く受け止められなかったこと。
選挙戦では、当初からアベ政権が前面に立ち、経営者から従業員への締め付けが多数の職場でやられたようだ。車を出し、期日前投票に連れていく(これは公明党も全力を傾注)…そのため
期日前投票が、前回の1万5835人より5825人増えて2万1660人に達し、過去最高を更新。投票者総数に占める割合は57・72%…信じられない数字が権力の介入を示している。

公明党の固定票が反稲嶺で動いたこと。
③進次郎の投入で若手の浮動票を取り付けに成功したこと
④露骨な選挙違反に警察が見ぬふり?1票10万円で買収との声も聞こえていた。

まあ、専門的に分析すれば、さらに色々あろうけれど、権力の力を我々も承知したうえで、今後の作戦を考える必要があるなと感じています。


IMG_7415.jpgIMG_7417.jpg 稲嶺氏の敗北を悼むかのよう、四万十川は、昨日から雪が降り続いています。
捲土重来…悔しいけれど、もう一度踏ん張って、今度は全国規模で、アベ政権の追い落としに挑戦しましょうか。今年は、憲法9条改憲を巡り、土壇場の戦いが幕を開けました。
アベシンゾウ、千載一遇の機会は今年1年しかありません。

今年中に改憲発議をしないと、アベの野望は潰えてしまいます。
今国会、そして次の臨時国会、そこが山場となります。
我々としては、この1年、この2つの国会で、改憲の発議をさせなければ、一旦は9条改憲の危機は去ると判断しています。アベ政権も1強独裁のように見えて、実は弱点もいくつか抱えています。
そこを見据えた、9条改憲を阻止する闘いが大事でしょう。


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IMG_7400.jpg IMG_7413.jpg 2月4日、緊急の、こうち九条の会の『全県交流集会』がありました。
雪の降る中、私も遠い高知市まで出かけてきました。
早めに着いたので、会場近くの高知城へ初めて登ってきました。入場料430円でしたが、県内の65歳以上の高齢者は無料で入れました。

いつも町から城を見上げるだけでしたが、今回は天守閣から街を眺めましたよ。(笑)
しかし、この日は寒くて寒くて、早々に降りてきました。

こうち九条の会の『全県交流集会』
●アベの狙いは…2020年に新憲法を施行したい。   内容は、国民の抵抗が一番少ない方法で。
   …9条1項、2項はそのまま。3項として自衛隊を付け加える…という案が最有力。
●なぜこの案が浮上したのか?
   1.『9条改憲NO!』の世論が高まったこと。
   2.自民党改憲案が余りにも不人気であること。
   3.アベが「自分の任期中に改憲を」という野望を持っているため。
   4.一度憲法に書き込みさへすれば、後は勝手に解釈改憲できるからの企み。
●『アベ9条加憲』論の問題点
   1.『加憲』される自衛隊の実態は、『専守防衛自衛隊』ではなく、『安保法制型自衛隊』であ
        る・・いつでも、どこでも、戦争ができる自衛隊に変わる。
   2. 9条1項、2項の空文化になる…後法は前法を廃する…法解釈の基礎。
   3.自衛隊を一旦憲法に書き込めば、事後の悪法成立の根拠とされる。
      ・・現在9条は、徴兵制や軍事機密保護、自衛隊の為の土地強制収容、軍法会議の制定等々を
       制限禁止する働きをしているが、逆に自衛隊憲法で認められるなら…と以上のことも認める
       方向で動き出す危険性。
●アベ改憲の機会は今年しかない
    19年には4月に天皇退任がある。
                   7月には、参院選
     20年には、東京オリンピック
●現行の国民投票法にも問題点多し…検討の必要性
●我々の運動のポイント
   1.まずは国会で発議をさせない闘いが大切。
   2.そのために『アベ改憲を許さない3000万署名』を全力で挑む。
   3.学習と宣伝…考え着く方法をすべてやりきる。
   4.今年の秋、県民集会を開催する。

まあ、そんなことが決まりました。

誰が何と言おうと、この国の最高法規・憲法を守る戦いに、そして、平和と民主主義と国民主権を主張する戦いの一員として、この老体が役に立つなら、何とも喜ばしいことではないか。命ある限り、老いの一徹、頑張ろうと思う。

 

 

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辺野古支援に行ってきました⑥沖縄の戦跡巡りその2

前回の続きだ。沖縄2日目は、海軍司令部壕、南風原陸軍病院壕、ひめゆりの塔、魂魄の塔までが前回の話でした。
今日はその続きです。お昼、近くの食堂で今度は『野菜そば』を食べました。沖縄のソバは量が多いですねえ。都会の2杯分は優にあります。

その後、沖縄南部の戦跡を目指しました。

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☝ 韓国人慰霊の塔                                             ☝ 平和祈念資料館   

平和祈念堂をバックにして建っている。石塚を中心に韓国の各地域から集められた石が並ぶ、塚の前の 円形広場にはさまよえる魂のために故国への方向を示す矢印(写真手前)がある。
朝鮮半島から強制的に連行されてきた人々はもっとも立場の弱かった。そのためもっとも危険にさらされ、かつ虐殺された人もいた。いま、この日本の政治を彼ら死した人たちは、何ととらえるのでしょうね。

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☝ 平和の礎の碑
平和祈念資料館の門をくぐると、平和の礎がある。そこには見渡す限りの石板が立ち並んでいる。
圧倒的な思いが立ち上ってきます。

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☝ 石板1枚に約200名前後の氏名が記されている。その数24万余人沖縄戦の全戦没者の数である。ここには、アメリカを含む外国人の名前も記載されています。ここに記された名前の一つ一つが、人の姿として、ここに立ち上がったらどんな光景が現出するでしょう。こんな愚かな戦争は2度としてはならないと思います。

☞ この辺り一帯が摩文仁の丘と呼ばれ沖縄戦最後の激しい抵抗が行われた終結の地です。『ひめゆり学徒』の乙女たちも、この地で自決したそうです。平和の礎から左手に見える丘で第32軍司令長官牛島中将も自決したと言われています。

そしてここに、何と意外な、土佐のジョン・万次郎が日本に帰る第一歩を標した砂浜がありました。
白い矢印の場所がそうです。
ふ~ん、万次郎は、こんな場所から上陸したのか…時代を超えた感動が湧いてきます。
万次郎が上陸したこの浜で60数年後、沖縄の乙女たちが散っていったのか…

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☝ たくさんの遺骨が散らばっていた浜も、今は静かで穏やかな光景が続きます。
☞ 浜にあるS字の形は、海中ケーブルを埋めた跡だそうです。ここが戦場跡だと知ってか知らずか若者たちがサーフィンをしていました。

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☝ 戦死者を悼むかのように、道には赤やピンクのハイビスカスが咲いていた。
かつて、高知県選出の衆院議員・山原健二郎は沖縄に来て、こんな短歌を詠んだ。
                                「仏桑花 そこには咲くな そこは基地 なが紅は 沖縄のもの」

☞ ちょっと辺鄙な場所にあるから寄らない…と言っていたのに、時間があったのかな?
気が付くと、『土佐の碑』についていた。碑は八重瀬町具志頭の丘の上に建っている。祀られているのは18,545名でうち沖縄戦没者832名と南方諸地域戦没者 17,713名となっています。

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☝ 土佐の碑の下は、こんな海岸が…               ☝ 糸数アブチラガマ…戦跡案内人・村上さん

摩文仁から海岸線をさらに南へ行くと南城市がある。つい先日、沖縄最強の保守市長相手に65票差で競り勝った、瑞慶覧長敏(ずけらん・ちょうびん)新市長の誕生したところだ。「神の島」久高島、世界遺産斎場御嶽琉球を造った神「アマミキヨ」が最初に降り立ったとされるヤハラヅカサなど、人と神とがつながる聖地が点在している風光明媚なところだ。

今回我々が訪ねたのは光溢れる南城市にあって、一般的な観光客の姿がほとんど見られない特別な場所。眩しすぎる外界とは真逆の、深い闇に閉ざされた自然洞窟、糸数アブチラガマです。

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☝ 狭い入り口からヘルメットをかぶりガマへと入ります。今日は一体何回ヘルメットを被っただろう。
☞ 階段は最近、保存会の皆さんが自力でつけられたそうです。以前は滑りながら入っていたのかな?

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☝ 中は真っ暗。ここでも懐中電灯が頼りです。ただ洞窟は鍾乳洞だけに広い。
全長270mのこのガマ(自然洞窟)は日本軍の地下陣地として整備されましたが、戦況が悪化すると南風原陸軍病院の分室として使用されるようになりました。およそ600名の負傷兵が運び込まれ、軍医、看護婦とともにひめゆり学徒が看護にあたったそうです。
5月25日に撤退命令が出されると、破傷風や脳症に苦しむ重症患者が置き去りにされ、避難していた近隣の住民とともにアメリカ軍の攻撃に耐えながら、空気穴から入ってくるひと筋の光に生きる希望をつなげ、45人の住民と7人の負傷兵が奇跡的に生き抜きました。
入り口の近くには『命の井戸』と呼ばれた井戸があり、今も滾々と水が湧き流れていました。

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☝ こちらが出口になっています。                   ☝ 聖地・斎場御嶽入り口で記念撮影

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☝ 斎場御嶽から見える久高島                           ☝ 世界遺産斎場御嶽
久高島は、琉球開闢(かいびゃく)の祖アマミキヨが天から舞い降りてきて、ここから国づくりを始めたという琉球の聖地。今も島の人々によって神事が行われ、平和への祈りと感謝が捧げられています。島と言っても山はなく、低いサンゴ礁の台地に見えました。

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                         ☝ ここを含めて周辺一帯を斎場御嶽というらしい

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琉球料理の店・龍潭


前号の分と合わせて、22日の戦跡巡りは終わった。想えば長い1日だった。沖縄に来て1日も、のんびりした日はなかった。毎日がハードスケジュールの連続でした。今日だけでも何回真っ暗な穴倉にもぐりこんだだろう。ヘルメットを被り、長い脚?を縮めて、悪戦苦闘、距離だけでも相当歩いた。普段の1ヶ月分も歩いたのではなかろうか。(笑)

まあ、それでも夕方7時ころから、現地の方たちと交流を兼ねた懇親会が開かれ、何とか疲れを癒しました。
今日1日案内してくださった村上さん始め、宮城さん、下地さん、伊佐村議、村山さん等、現地の方たちにずいぶんお世話になりました。

今回の旅には、面白い余談もいくつかありますが、あまりにも長くなるので、一旦この辺で終了といたします。

また行きたいなあ…沖縄。のどの調子もずいぶん直ってきたしねえ。(笑)

 

 

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辺野古支援に行ってきました⑤沖縄の戦跡巡り

沖縄に着いて2日目。1月22日は朝から沖縄の戦跡巡りの日です。レンタカー2台に分乗して海軍司令部壕を目指します。

海軍司令部壕は、沖縄戦において大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕である。戦後は旧海軍司令部壕としてその一部が一般に公開され、周辺は海軍壕公園として整備されている。豊見城市那覇市の市境に位置する。

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☝ 海軍司令部壕は雨でした                                     ☝ 入り口は戦後補修されたみたいです

司令部壕は1944年8月10日に着工され、同年12月に完成した。海軍第226設営隊(山根部隊)の約3000名が設営にあたり、ほとんどの工事はツルハシなどを用いた手作業で行われた。小禄地区(那覇空港)周辺にはこの他にも多数の防空壕が建設され多くの住民が動員されたが、海軍司令部壕は最高軍事機密であったため民間人は近付くことも許されず工事は軍隊の手のみによって行われている。

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5月半ばアメリカ軍は那覇市街地に迫り、陸軍は5月22日沖縄本島南端部への撤退を決め、小禄司令部壕を守っていた海軍もこれに合流するため武器の一部を廃棄して移動を開始したが、命令の行き違いがあり小禄司令部壕へ引き返している。6月に入ってアメリカ軍の攻撃が激しくなったため陸軍との合流は断念せざるを得なくなり、海軍は司令部壕付近に孤立することに。

6月4日午前5時、アメリカ軍は小禄飛行場の北部に上陸し司令部壕のある那覇市南西部を包囲した。大田司令官は6日夕方に辞世の句とともに訣別の電報を打って自らの覚悟を伝え、同日夜には「沖縄県斯く戦ヘリ」の電報を打って後事を託している。包囲が次第に狭められていく中で壕内
 に残った2,000名の海軍兵と共に玉砕の道を選んだ。

太田司令官の電文(一部)
私が知る範囲に於いては、県民は青壮年の全部が防衛のための召集に応募し、残された老幼婦女子は相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産の全部を失い、わずかに身体一つで軍の作戦に差し支えない場所の小防空壕に避難したり砲爆撃下でさまよい、風雨にさらされながら乏しい生活に甘んじています。 しかも若い婦人は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊への参加すら申し出る者さえいます。
沖縄県民はこのように戦いました。 県民に対し、後世、特別のご配慮をしていただくことをお願いします。

この電文のせいか、沖縄県民の感情は、太田司令官に対しては割と好意的だという。

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☝ 枝分かれした全長約450mの坑道といくつかの部屋からなり、砲撃に耐えられるよう重要な部屋はコンクリートや漆喰で補強されている。坑道の壁には建設時につるはしで削っていった跡が残されている。

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資料室には、戦争の跡の無残な死体などの写真がいくつか掲示されている。あまりにも残酷なので、ここでは1枚のみ紹介しておく。

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☝ 戦争写真の中でも有名な1枚・白旗の少女
少女の持った枝の先に白い布が括り付けられている。

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☝ 1945年3月、読谷海岸に集結した米艦隊。
『鉄の暴風』と言われたすさまじい艦砲射撃の後、米軍の上陸が始まった。

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南風原陸軍病院壕・20号入り口                    ☝ 壕の横には、ブーゲンビリアの花

1945年3月23日に米軍の空襲が始まると、沖縄師範学校女子部、県立第一高等女学校の生徒および引率教師237人が、看護補助のため動員されました。彼女たちは戦後、「ひめゆり学徒隊」と呼ばれます。(位置は那覇市の東側になります)

 5月22日、首里城地下に置かれた第32軍司令部が摩文仁に撤退し、陸軍病院も南部へ移動することになりました。その際重傷患者に青酸カリが配られ、自決が強要された壕もあります。「南風原陸軍病院壕跡」碑には、「重傷患者二千余名自決之地」と刻まれていますが、この数字に確かな根拠はなく、犠牲者の数はいまだ明らかではありません。


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☝ 壕の近くに憲法9条の碑が                         ☝ 壕から撤退する時に埋められた薬品が展示
憲法9条守ろう…の立て看板は各地で見かけますが(特に高知では多い)石の記念碑は私も初めてお目にかかりました。すごい、感動です
薬品は戦後に掘り出されたものです。

 

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☝ 壕の中は真っ暗。懐中電灯が頼りです。  ☝ 昔、壕の崩落を支えていた柱が朽ち果て、今も残っていました。とにかく壕の中は、暗い、狭い、じめじめ、天井低くて、頭をごんゴン…私には耐えられない環境です。こんなところに大量の患者が押し込められ、ひめゆり学徒が看病していたなんて…ねえ。

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ひめゆりの塔の前の壕を拡大した写真        ☝ ひめゆりの塔、その前に壕がある

ひめゆりの塔」は沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒の鎮魂のために、沖縄戦の翌年1946年に建立されました。
ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、元来は「姫百合」であったが、戦後ひらがなで記載されるようになった。なお、植物のヒメユリとは関係がない。

第三外科壕(ひめゆりの塔の前にある壕)は19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡した。第一外科壕、第二外科壕は、アメリカ軍の攻撃を事前に察知し、19日未明までに地下壕から脱出した(そのうちの一部は第三へ避難、そして前述のごとく死亡)。しかしこれらの学徒隊もその後の激しい戦闘で多くが死亡した。そして、本島南端の浜に身を投げ、多くの自決者を出した。

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☝ 最初に建てられた(ひめゆりの塔)                 ☝ ひめゆり平和祈念資料館

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ひめゆりの塔入り口のあこうの木               ☝ 魂魄の塔

この「魂魄の塔」は、沖縄県で最初に建立された慰霊碑で、「ひめゆりの塔」や「健児の塔」のルーツでもあります。 
「魂魄の塔」に眠る遺骨はすべて身元不明者です。
摩文仁や魂魄の塔がある米須を中心に、全国のすべての、都道府県の慰霊碑がありますが、
沖縄県の碑」は存在しません。 あえてあげるならば、この「魂魄」が 沖縄県の碑といえるかもしれません。 沖縄戦で身内を失った者にとって、「魂魄の塔」は家族の墓と同じ意味をもっています。
 住民、軍人、米軍韓国朝鮮人沖縄戦で死んだ約3万5千人の人々が 軍民、人種を問わず葬られた、沖縄最大の塔である。これが戦後もっとも早く、 住民の手で作られ、平和への想いを込めた塔として、他府県の慰霊碑とは多少異質である。

復帰後の1979年2月、 「摩文仁の丘」に国立戦没者墓苑が建立され、遺骨の殆どがそこへ移されました。 現在、「魂魄の塔」には、わずかな遺骨しか残されていません。
 

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立法院議員の翁長助静(元真和志市市長)が、塔の命名を行い
「和魂(にぎたま)となりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風」と碑文を記した。

翁長助静氏は、現沖縄知事・翁長雄志知事の父親です。

☞ ここには多くの都道府県の慰霊塔が建てられています。その中でも一番犠牲者が多いのが、意外にも北海道の部隊でした。その数10,787人断トツのトップでしたので、北海道の慰霊塔を掲載しておきます。

写真が多いので続きは次回に紹介します。

 

 

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辺野古支援に行ってきました④辺野古の座り込みと高江のヘリ基地

?十年ぶりの飛行機旅となりました。
昨年11月、三上智恵監督の『標的の島・風かたか』を『九条の会』で取り組んだ時、県レベルで沖縄支援ツアーのカンパと参加の訴えがあった。

今回の上映会で15,000円のカンパがあった。何となく私も参加したい気持ちになってきた。何よりも四万十市と友好都市関係の名護市の市長選総決起集会が予定に入っている。

辺野古基地を許さない、最大の保証となる市長選の応援、これだけは何としても行きたい。映画で見た辺野古の座り込み、そして高江ヘリパッドの訪問…どうしても行きたい。

まあ、それと沖縄はこの日本で私が足を踏み入れていない2つの県の一つ。そういうことで連れ合いさんの了解を取り、飛行機へと乗り込んだ。

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☝ 定員120名の中型ジェット機。初めて乗りました。
この日は曇り空、下界の見通しはあまりよくありません。しかし、九州を離れると少しだけ下界が見え始めました。

☞ 下界に見えたのは屋久島。上から見ると小さな島です。

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奄美大島はかなり大きいようです                ☝ こちらは徳之島だと思う

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沖縄本島に近づくと、次々と小さな美しい島々が見えてきた

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☝ 松山から2時間、やっと沖縄本島が見えてきました。
近づくにつれ、浅瀬のサンゴ礁と、それにぶつかる白波があちこちで見えました。
沖縄の周囲は、ほとんどが浅瀬のサンゴ礁が多いようです。

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☝ ついに那覇空港に接近、そして着陸。ここは国際空港、かなりの飛行機が駐機してます

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☝ 高知西南部の幡多地区からの参加者は4名。高知東部からの参加者は1時間遅れで高松空港からやってきます。待ち合わせまで1時間。空港の食堂で昼食をとりました。
私は、沖縄のソウキソバを頼みました。豚肉が入っています。麺はそば粉ではなく小麦粉です。

☞ 食後、空港4階から遠くを見ると、那覇空港の半分が軍港であることが分かります。戦闘機がずらりと並び、時々滑走路に入り飛び立ち、又着陸する姿が見えました。

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☝ 沖縄は緋寒桜が咲いていました。                ☝ 宜野湾の嘉数高台にある塹壕

高松組と合流。レンタカー2台に分乗して、早速だが、宜野湾市の世界一危険な基地・普天間とその先の嘉手納基地見学へ向かいました。
その1台のワンボックスカーに7人乗り、私が運転することになりました。

慣れない車で少し面喰いましたが、まあ無事に事故無く走りました。
これで私が自分の腕で運転していない県は、岩手県だけになりました。(笑)

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☝ 嘉数の丘展望台                                              ☝ 普天間基地

宜野湾市辺野古に近い所です。先の戦争で米艦船はここに集結。艦砲射撃を浴びせ上陸を開始、沖縄北部と南部の2方面へ侵攻を始めたところです。
ここの高台は、沖縄最大の激戦地となった日本軍の基地跡です。いまは平和を祈る思いを、地球儀になぞらえた展望台が建っています。

嘉数の戦い(かかずのたたかい)とは、太平洋戦争末期の沖縄戦において、嘉数高台をめぐって1945年4月8日(7日)からの16日間に行われた戦いである。この戦いは沖縄戦最大級の戦闘の1つとしても知られるほどの激戦であった(前田の戦い他を含むことがある)。日本軍は低地に「反斜面陣地」を構築して米軍に劣る火力をカバーし、頑強に抵抗したため、嘉数は米軍からは「死の罠」「忌々しい丘」などと呼ばれた。

普天間基地…言わずと知れた有名な『世界一危険な基地』…住宅地の真ん中に公園がある…と見まごうように基地があり、轟音を立てて、戦闘機がオスプレイが飛び交います。
住むだけでも嫌な感じ、なのにここで、子供たちの保育、教育…なんだかねえ。自分の眼で見て改めてびっくりです。
しかも、沖縄各地で墜落、不時着、部品落下事故など起こしてるのは、すべて普天間基地所属だと言うから、もう驚きモモノキです。

普天間はきっぱり廃止。それしかありません。

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これが悪名高きオスプレイ。この日は日曜なので飛びませんでした。手前に普通の軍用ヘリが駐機しています。
比較すると、オスプレイがどれだけでかいか分かるでしょう。
このでかい機体を飛ばそうとすれば、すごいエネルギーが必要です。
ぺらの回転の轟音と風圧、見るだけで、容易に想定できます。



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☝ 京都の塔の横にある碑文                              ☝ 日本軍が使用したトーチカの跡

沖縄の各地に日本本土から沖縄戦に参加し、戦火に倒れ犠牲になった人たちの慰霊塔がある。
多くの慰霊塔は糸満市摩文仁の丘に集中しているが、京都の塔は宜野湾市の 「 嘉数高台公園 」 にある。

京都の塔の碑文にはこう書かれてある。

昭和二十年春、沖縄島の戦いに際して
京都府下出身の将兵二千五百三十有余の人びとが
遠く郷土に想いをはせ、ひたすら祖国の興隆を念じつつ
ついに砲煙弾雨の中に倒れた。
また多くの沖縄住民も運命を倶にされたことは誠に哀惜に絶へない。
とくにこの高台付近は主戦場の一部として、
その戦闘は最も激烈をきわめた。


 星霜十九年を経て、今この悲しみの地に
それらの人びとの御冥福を祈るために
京都府民によって 「 京都の塔 」 が建立されるにいたった。
再び戦争の悲しみが繰り返されることのないよう、
また併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と友好の絆がますます高められるよう、
この塔に切なる願いを寄せるものである。


 昭和三十九年四月二十九日

(注)特にこの日文を掲載したのには意味がある。
沖縄戦で犠牲になった各都道府県の慰霊塔がたくさんあるが、碑文に現地沖縄の人々に思いをはせた碑文は、この京都の碑文以外見当たらないのだそうだ。
これは当時の京都の知事が『憲法知事』として有名だった、あの蜷川さんだったからできた碑文ではなかろうか…と私は思う。

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☝ 次は、嘉手納基地です。『道の駅かでな』にある地図です。基地の写真もここから撮りました。
赤線の中が嘉手納町。見ればわかりますよね。ここも住宅のど真ん中に基地があります。嘉手納の上は読谷村、下部が沖縄市になります。
普天間基地と少し違うのは、左側が海で、右側が森林であることです。

嘉手納の緑の部分は森林地帯です。ですが、それは米軍弾薬庫となっています。ひょっとすると危険極まりない化学兵器原水爆が保管されてはいないでしょうか?
私の心配が杞憂であれば幸いですが。

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☝ この飛行機、戦車などを運べる輸送機のようです。
とにかくでっかい。まるで一つのビル程あります。

☞ 白い機体にはNAVYの文字があります。海軍の4発型プロペラ機です。おそらく偵察機でしょう。
 
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☝ 格納庫の前には戦闘機が                               ☝ この森が米軍の弾薬庫です

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あまりにも、内容が多すぎて、駆け足でしか紹介が出来ません。また機械があれば、一つ一つじっくりと調べてみたいものだと思っています。

とにかくこの日は、那覇まで引き返し、18時50分から20時過ぎまで『沖縄の歴史と闘い、情勢』について、沖縄革新懇の宮城さんの講義を受けました。

それからホテルに入り、幡多の仲間と町の居酒屋に繰り出し、写真のような沖縄料理にかぶりつきながら、明日からの奮闘を誓い合いました。

ホテルに帰ったのは12時前、風呂にも入らず、そのままベッドに倒れこみました。
それじゃ~ またね~

 

 

 

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辺野古支援に行ってきました③辺野古座り込みと高江のヘリ基地

沖縄について3日目・23日はレンタカー2台に分乗、朝7時半にホテルを出発。
9時半に辺野古・キャンプシュワブに着きました。

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☝ 基地前に着くなり、ゲート前でマイクが怒鳴り声をあげていた。抗議の人と機動隊が入り乱れてもめているようだ。なんだ? と思いしばらく待つと、機動隊員に囲まれ引きずられて、1人のおじいがやってきた。
後で元県議の具志堅さんだと新聞に載っていた。

☞ 我々高知勢は、とりあえず基地前の座り込み用のテントで待機。今日の行動の内容と注意事項について話を聞いた。まあ色々聞いたが、くれぐれもと注意されたのは、機動隊による座り込みの排除と抗議の時は、絶対に耳より上に手を上げないこと、あまり過激な言葉で機動隊を刺激しないこと…この2点を注意されました。

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☝ 映画、標的の島やニュースなどでよく見かける男…山城博治さんも、あいさつ激励に駆け付けてくれ、帽子を振り回しながら「 ウィシャル・オーバー・カム」「今こそ起ちあがろう」を熱唱してくれました。釈放条件に、あまり現地に近づかないこと、演説をしない…などの条件が付けられているため、ゲート前では本人はマイクを握らなかった。

☞ その後、高知勢のあいさつで、まずは名護市長選激励の為用意した『寄せ書き』(なかなかの傑作)を披露し、私がマイクを握り簡単な連帯の挨拶を行いました。
その後、高知のよさこい踊りを鳴子両手に披露し、喝さいを浴びました。

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☝ 向かいの基地からは、機動隊らしき男が、双眼鏡で我々の動きを監視しています。
ここには我々以外にも東京勢や岩手、川越など各地から支援に駆け付けた人たちが約100名ほど参加していました。

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☝ 12時前、今日2回目の埋め立て用石材等の搬入が始まります。私も含め約50人ほどが、ゲート前に座り込みました。

☞ やがて、トラック部隊の先頭が見えてきました。さあいよいよです。

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☝ そこへ米軍車両が通りました。この写真の1台前で写真に撮れなかったが、タイヤがパンクしていました。そのまま走るのは、道交法違反です。一斉に米軍車両を止めさせろ…と抗議の声が上がりましたが、その場の機動隊は知らん顔です。日本の警察は米軍には一切口出しが出来ないんだと、改めて思いました。

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☝ 機動隊がゲート前で座り込む我々に退くように声を掛けます。マイクを持った座り込みのおっちゃんと、機動隊のやり取りが続きます。

☞ 突然、機動隊が突撃してきました。
座り込んでいた年寄りや女性たちを、次々と強制的に排除していきます。

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高知市から来たおんちゃんも排除されました。   ☝ この人はどこから?

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☝ 次々と排除され、やがて私の番に…『おい、俺は邪魔にならんところにいるのに、なんだお前ら…』と少し抵抗しましたが、問答無用で排除されました。

☞ 先ほど排除されたおっちゃん、機動隊員に詰め寄り猛烈な抗議の声を上げます。
左側に見えるおっちゃんも加わり、ずっと1時間ほど、しつこく抗議し続けました。すごいねえ。

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☝ 我々はトラックの出入りがよく見えるゲートの反対側に回り抗議の声を上げ続けました。
ゲートの前に並んでいる青い服は警察ではなくて、アルソックの警備員だそうです。

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☝ そのアルソックの警備員が公道にずらり並ぶトラックを、優先通行できる一般車両を停止させて、次々とトラックをゲートの中へ入れていきます。
トラックの後ろ、そして反対側の車線には止められた一般車両がずらりと並んでいます。
ここでも大きな抗議の声が沸き上がりました。
『トラックの列を脇に寄せて、一般車両を優先させろ』『警察がいるのに何で何の権限もないアルソックが車両を止めるんだ』…機動隊も防衛局も何の返事もしません。

 

☞ おばあたちが何回か、侵入するトラックの前に体を張って突入していました。たちまち機動隊に捕まって排除されます。それでもまた次が飛び込む…そんな光景が何度かありました。

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☝ ゲートの前で、マイクを持って抗議する人たちに、まるでカニが泡を吹くように、終始ぶつぶつと、よく聞こえない声で、抗議の妨害をしている、サングラスにマスクの怪しい男が防衛局職員らしい。

☞ 右の2人も防衛局職員だ。ただ何もしないで、1日ぼう~っと立っているだけで給料がもらえるんだってさあ。仕事のない我々には、実にうらやましい限りだ。

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辺野古の基地づくりが進むキャンプシュワブ。そのゲート前に土佐の高知の『なかむら九条の会』の黄色の旗が誇らしそうにはためいている。

☞ そこへ突然、ワーワーとがなり立てる五月蠅い車がやってきた。
例によって真っ黒の車体に日の丸をつけた、ホントにダッサイ車だ。沖縄の右翼は『家庭内手工業』なのか?  運転手はおばちゃんで、それでも制止する機動隊にかみついていた。その横のおっさんは、もうお爺ちゃんだが、『おい、山城出てこい。なんだかんだとわめいていたが』やがて帰っていった。右翼の車には,まるで護衛車のようにパトカーが2台も付いていた。このパトも何にも仕事してない。結構だねえ。こんなので飯が食えるのか?警察は?

余りにも頭に来たので、マイクに負けないくらいの大声で30分ほど、怒りの抗議を上げました。連れや他の人にも、まあまあと制止されたので,辞めましたが、あれから1週間まだ声が枯れています。(笑)

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☝ ここが埋め立て予定地の辺野古沖と大浦湾だ。
ここはジュゴンのえさ場としての海藻が豊富なところだ。又絶滅が危惧されるサンゴの生息地でもある。会場のフェンスを見てほしい。この美しい海が埋め立てられ、戦争と人殺しの為の要塞基地が作られるなんて、沖縄人でなくとも、とても許せない。米軍の横暴と頼りない日本政府への怒りがマグマのように噴き上げてきます。

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☝ 高台の上から辺野古を望む高知勢                ☝ その横には、こんな看板が…近くの幼稚園児と父母が書いた看板だそうです。看板は他にもいくつか。

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☝ ここは高江のヘリ基地の入り口です。昼食はパンで済ませ、一路高江へと向かいます。予想よりは少し遠かったようです。1時間半ほどかかったかな?
ヘリ基地の入り口には、10人以上の警備員が居ました。外人もいるので米軍か?と思いましたが、雇われの警備員らしい。
横の立ち木にも、横断幕がかけられている。

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☝ 金網の向こうに米国海兵隊施設…立ち入り禁止の看板が

☞ 金網沿いに丘に登ってみると、広大なヤンバルの自然林が見えている。ここにも貴重な鳥たちが住んでいる。人の手の入っていない大切なヤンバルの自然林を切り開き、破壊し、使いにくい基地は返してやるから感謝しろ!! と米軍と政府は言ってるらしい。
冗談じゃない…こんな自然の宝庫をぶっ壊して、オスプレイを100機に増やし、住宅地の上をガンガン飛ばされたんじゃやってらんないよ。

アメリカでは、貴重な生き物がいる地域は開発も基地化も認められないそうではないか。どうして沖縄では子供たちの生きる保育所や学校の上を軍用ヘリが飛び回るんだよ。
全ては、アベ政権のだらしなさにある。米軍にきちんと物を言えない、奴隷根性…それが翻って弱者には、厳しくつらく当たる…もうアベ政権は腐ってるね。

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☝ 真ん中の女性は伊佐村議…厳しい戦いに耐えて勝つまで頑張りぬく、現地の人たちの戦いにはホントに涙が出そうになる。

☞ また22日に韓国の民主化に貢献したカトリック司教チ・ハクスンさんにちなんだ「チ・ハクスン正義平和賞」にヘリ基地反対協議会が選ばれ表彰を受けたことを、稲嶺市長の決起集会で触れたが、この写真の帽子をかぶった人が、韓国チームの代表らしい。
名前は忘れたが、この人、60歳から独学で日本語を勉強して、今はもう、まったくのぺらぺら。すごい人です。現在80歳くらいかな。後ろの方に見えるのがチームの人たち。

国は違っても、共存共栄、互いに手をつないで生きていくのが一番いいと語っていました。

 

 

 

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憲法ってなぁに? 9条改悪したらどうなるの?

沖縄から帰り、ドタバタした中でしたが、27日14時から、四万十市社会福祉センターで、前回参院選で、高知・徳島合区の野党共同の候補者として健闘された、弁護士の大西聡さん を迎えて表題のような憲法学習会を開催しました。

講演会は、はた9条の会連絡会と戦争法を許さない幡多の会の初の共同講演会でした。

講演会は、実は昨年10月29日に計画されていたのですが、突然の季節遅れの台風により中止延期となっていたものでした。

以下はお誘いの文の一節です。***************

戦争法が強行採決されて2年。昨年は国民を監視する共謀罪が制定されました。そして森友・加計で追い詰められた疑惑隠しの冒頭解散❢残念ながら改憲勢力が未だ3分の2以上の議席を維持しました。

しかし、その中で野党共同の闘いが大きな輝きを見せました。

アベ内閣の暴走政治を終わらせ、憲法9条立憲主義、民主主義を守るには、小異を捨てて市民と野党がガッチリ手を組み、政権に立ち向かっていく…その先に希望が見えてきました。

昨年、台風襲来で延期になりました講演会を再開します。嵐を呼ぶ男・大西聡さんが『明日への希望』を語ってくれます。誘い合わせてのご参加をお待ちしています。*****

 

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講演会は定刻に始まり、聴衆は熱心に聞き入ってくれました。

以下講演のあらすじ  です(文責はnakamura9)

1、憲法とは、国民を縛るものではない。権力の暴走を制限し、国民の権利を守る仕組みになっている。この考え方を立憲主義という。

 

2、日本の憲法は、世界大戦での4千万人に及ぶ膨大な戦争犠牲者と無残な社会の破壊への反省の上にできたもの。

 

3、憲法とは何か?…その答えは前文に書かれている。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

以下、そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

…皆さんに自分で前文を読んでほしい。一言で言えば、『憲法とは、個人の尊厳を中核とする人権保障の体系』である。

前文の主な内容は

基本的人権の尊重(自由主義)

国民主権主義(民主主義)

③平和主義

 

4、憲法で何が一番大切なものとされているのか?…第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

さて、ここで一つ質問です。【自由主義  VS  民主主義(多数決)    どちらが優先?】

答えは次の5、をご覧ください。

 

5、日本国憲法がとる民主主義とは

悪法も法なり…との解釈があるが、日本国憲法は、悪法は法ではない との立場である。

第97条この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

… 第98条この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

… 〔最高裁判所の法令審査権〕第81条最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

答え分かりましたか?多数決で決めても憲法違反では法として認められない…つまり、多数決よりも自由の方が優先するのです。

 

6、憲法の平和主義

前項2、述べた理由により、日本国憲法は世界に比類のない徹底した戦争否定の態度を打ち出した。

幣原内閣の下、憲法調査会が土佐の植木枝盛の 日本国国憲案 を元にマッカーサー案を作成、国会で論議の末、現行憲法は生まれた。(押し付けでなく日米合作)

『国権の発動たる戦争』『武力による威嚇、武力の行使』『戦力の保持』この3つを放棄した。

 

7、平和や人権をないがしろにする憲法違反の政治

特定秘密保護法の成立

②武器輸出三原則の撤廃

集団的自衛権の行使容認

④安全保障関連法案の成立

⑤賭博解禁のカジノ法の成立

共謀罪の成立

全て憲法に違反する法律を数多く成立させ、これにより日本は海外での戦争に参加できることになった。これは日本の立憲主義の危機であり由々しき事態。

また共謀罪により、今後、密告の横行、盗聴、会話傍受の拡大、おとり捜査や潜入捜査が広く行われる危険。捜査権の濫用による人権侵害が懸念される。

 

8、アベ改憲の狙い

9条3項に自衛隊の存在を書き込む。2020年に改憲…と、突然言い出した。行政府の長たるアベ総理の改憲発言は三権分立を無視したもので立法権の侵害、憲法違反の発言。

アベ発言は超右翼の日本会議のシナリオに沿ったもの

日本会議伊藤哲夫は『明日への選択』で、『議席3分の2獲得後の改憲戦略』として指摘している。

また日本会議の小坂実も『明日への選択』で、『今こそ自衛隊憲法上の地位と能力を』と主張している。

 

9、憲法9条が果たしている役割

①日本が戦後72年間他国と武器を交えず、1人の戦死者も出さなかったのは9条のおかげ

②一国平和主義でなく、前文に『全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』と世界規模で位置付けている

③9条は『アジアに対する不戦の誓い』としての意味を持ち、信頼を得てきた

④9条は『自由の下支え』として、国民の人権と自由を守ってきた

⑤9条は戦後日本の経済的発展を支えてきた

⑥国連の『平和への権利宣言…2016年採択』の大きな力となった

…大事なこと…過去の戦争は、ほとんどが『自衛』の名のもとに行われてきた

 第99条天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

10、自衛隊の存在を憲法に明記すると何が変わるか?

自衛隊の活動のなし崩し的拡大になる(9条の防波堤が崩壊する)

法的には、《後法は前法に優先する》の原則があり、9条が無視されることに

②際限のない戦力の拡大が始まる…政府は今、長距離攻撃ミサイルを導入画策

③徴兵制の合憲化…自衛隊法という長い法律がある、現在徴用等の拒否に罰則ないが変更の可能性

自衛官の軍事規律の強化…軍事裁判所の設置

⑤軍事機密の横行…黒塗りの報告書さへ出さなくなる恐れ

自衛隊の為の強制的な土地や資材の収容…銃剣とブルドーザーで収容された沖縄基地

⑦軍事費の増大…教育、医療、福祉の削減

⑧産軍複合体、軍学共同体の形成

⑨9条2項が残る限り、矛盾が残るので、その解消のため必ず、2項の削除が必要となる

⑩さらに次の加憲として、軍法会議の設置や緊急事態条項の導入が出てくる

 

11、平和の実現・創造の方法

北朝鮮に対抗するため9条改憲が必要だ!…北朝鮮が攻撃を仕掛ける時は、自ら全滅覚悟をした時だけだ。対抗勢力との軍事力の差は歴然。

この問題を考える時『怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない』というニーチェの言葉を思い出すことだ

*安保関連法で抑止力は高まったのか?…逆に軍事的緊張が増している

*武力で自由と安全を守れるか?…戦争になったら終わりではないか

*そもそも『平和』とは?  武力で平和を創れるか?…憲法前文の理想を生かす道しかないのでは…戦争を如何に避けるか、そこに知恵と撮力を。

*戦争はアメリカの押し付け…拒否した角栄ロッキードを仕組まれ、小沢も国策捜査で追い込まれた

憲法を現実に合わせて変えていくのではなく、現実を憲法に合わせる努力をまずしてみることが先ではないか』…河野洋平衆院議長

 

最後に…改憲は極めて慎重であるべき。たいていの問題は現法で解決できる。平和主義や人権の後退につながる安易な改憲はすべきではない。

*「人は不完全である」…故に「人は過ちを犯す」…故に「人によって構成される国家権力は濫用される危険性があり、現実に濫用された歴史がある」…故に「戦争により多くの生命、身体、財産が失われた」…故に「その深い反省から国家権力の乱用を防ぎ、国民の権利自由を守るために憲法が制定された」…故に「国家権力の濫用を防ぎ、国民の権利自由を守る装置である憲法を安易にいじってはならない」のである。

*アベに改憲発議をさせないために『アベ改憲NO! 憲法を生かす3000万署名』を達成させよう!!!

 

 

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辺野古支援に行ってきました②名護市長選・稲嶺進総決起集会

辺野古支援ツアーは、21日からですが、今回は23日の報告です。日程の後ろから順番の変わった報告になってしまいました。

23日は朝から辺野古新基地前のトラックによる資材搬入阻止のため、高知からの参加の15人の1人として私も参加しました。また東村高江のヘリ基地反対協議会も訪ねました。
ここで、いつもニュースや映画『標的の島』で見るような、機動隊による強制排除で手足を抱えられ排除されるなどの経験をしました。…まあ、その話は次回として、今回は、この日の夕刻に行われた稲嶺進必勝総決起集会》に参加した様子を報告します。

高江から1時間ほどで、本日の会場、名護市の『21世紀の森屋内運動場』へ着きました。会場へ車を止め、軽く夕食をとろうと、周辺を探しましたが、この辺は全く食堂を見かけませんでした。20分ほど歩いて、やっと1軒のうどん屋さんを見つけ食事が出来ました。

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☝ 演壇横には、目立つところに、3年前の沖縄知事選に応援に駆け付け、その後亡くなられた菅原文太の奥さんから、大きな花束が届けられていました。(メッセージは省略します)
菅原文太が先の知事選で語ったことを掲載しておきます。

政治の役割は二つあります。
一つは、国民を飢えさせない事、安全な食べ物を食べさせること
もう一つは、これは最も大事です。絶対に戦争をしないこと !!!

     うみも、やまも
     くうきも、かぜも
     すべて国家のものではありません
     そこに住んでいる人たちのものです。
     辺野古もしかり。
     勝手に他国に売り飛ばさないでくれ


開始時刻には、会場は満杯、主催者発表では3850人とのことでした。
わずか人口6万人の市でこの数…他市からの応援がありとはいえ、すごい数です。

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☝登壇した 稲嶺市長 は、時に方言を交えながら、これまで2期の実績と、3期目の抱負を語り、名護市民の為に、否、オール沖縄の為に絶対に辺野古新基地は作らせない、翁長知事と私が市長でいる限り、政府がいくら基地建設をごり押ししても、新基地は完成できない…と言いきりました。詳しくは下記掲載の報道ニュースをご覧ください。

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☝ 壇上には、知事を始め、オール沖縄の国会議員、各界代表が、ずらりと勢ぞろい。
他県の市長選ではありえない光景です。
それだけ、名護市長選の存在意義が大きいということを示していると思いました。

『何が何でも勝つ』壇上でのすべての発言者の暑い暑い熱気が会場に伝わってきました。
また、この日、立憲民主党が稲嶺支持を打ち出しました。注目は同党に移ったばかりの有田芳生が登壇していたことです。

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☝ 応援に駆け付けた、前日に保守の牙城を切り崩し、南城市で沖縄最強の相手に65票差で競り勝った、瑞慶覧長敏(ずけらん・ちょうびん)氏。この勢いを名護市長選へ、そして年末の知事選へつなごう…と訴えると、会場は太鼓と指笛と歓声に包まれました。
それにしても沖縄の選挙は、ずいぶんと派手でにぎやかです。会場に余地があれば群衆は踊りだしそうな、そんな雰囲気を感じました。

☞右の写真は市議補欠選挙(欠員1)で、同市辺野古の新基地建設に対し抗議行動を続ける「ヘリ基地反対協議会」の安次富浩共同代表稲嶺進市長の市政与党の立場で立候補する。安次富氏は「自然を壊してまで軍事基地は造らせない」と話し、また22日に韓国の民主化に貢献したカトリック司教チ・ハクスンさんにちなんだ「チ・ハクスン正義平和賞」にヘリ基地反対協議会が選ばれ表彰を受けたことを、記念のメダルと盾を示しながら平和への決意を語りました。

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☝ 壇上で手をつなぐ…左から瑞慶覧長敏南城市長、稲嶺候補、安次富氏、翁長氏

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☝ 最後に『参加者全員によるガンバロウ3唱』
沖縄の選挙で、もう一つ驚いたのは、マスコミが全員壇上に上がり、会場の様子をカメラに収めている様子にびっくりしました。

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☝ 集会の終了後、稲嶺さんの選挙事務所を訪ね、高知勢が作った寄せ書き…クジラとジュゴンが仲良く泳ぐ姿をパッチワークで縫い込んだ傑作です。他にも色紙の寄せ書き、カンパなど手渡し、必勝の激励を行ってきました。
なお、名護市と四万十市は『友好都市』の関係にあります。私が『友好都市、四万十市から応援に来ました』と手を差し出すと、稲嶺氏は『おーっ』と声をあげながら、握手を交わしてくれました。
そして、27日には、四万十市長の田中全さんが応援に入ることを伝えました。
ホテルに帰り着いたのは午後10時、琉球新報女性初の政治部長・島洋子さんがホテルを訪ねてくれた。島さんとは2015年以来、何度か高知に足を運んでもらい、沖縄情勢等について講演を開いていただいた。それ以来のお付き合いだ。
この晩8時ごろに、今月3度目の米軍ヘリ不時着事件が起こり、沖縄県民の怒りがいや増した。
そんなこともあり、島さんは時間がないとのこと、30分ほどの歓談交流で帰って行かれた。とにかく基地あるが故の事件が多く忙しいようだ。

いよいよ今日から名護市長選が始まります。
みなさん、名護の為、沖縄の為、日本の為、ひいては世界平和の為に、この選挙絶対に負けられません。現地に皆さんの知人があれば、必ず稲嶺勝利の訴えを、よろしくお願いいたします。

稲嶺さん3選必ず  危ない新基地造らせない 名護市長選へ総決起大会




名護市長選きょう告示  稲嶺ススム市長必勝へ6党が勢ぞろい




【琉球朝日放送】ヘリ基地反対協議会にチ・ハクスン正義平和賞を授与

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沖縄・辺野古支援ツアーに参加しました①奇跡の帰宅

昨年末高知県で取り組んだ『標的の島・風かたか』の上映運動が平和資料館・草の家を中心に行われました。

幡多9条の会連絡会では、三上智恵監督の『標的の島』シリーズの上映運動に携わってきました。今回で3回目です。その中で今回は『沖縄支援ツアー支援募金』の訴えが加わりました。

なかむら九条の会でも、カンパを訴え、約15000円が集まったので、誰か代表を送ろうと世話人会で論議しましたが、参加希望者が無く、私nakamura9が参加することになりました。

幡多からは、土佐清水からSさん、大方からTさん、中村から私と保育関係からKさんの4人が参加することになりました。県全体で15人の参加ですから、人口比でみると、幡多の参加確率は相当な高確率です。(笑)

1月21日から3泊4日、沖縄辺野古の支援ツアーに参加してきました。
私が、71年の人生で、これまで自分の車で走っていない県が2つありました。
沖縄は、その意味でも1度は行きたいと思っていた県です。
もちろん、本音は、日本の苦難を一手に押し付けられている、沖縄の現実を映像ではなく、自分の2つの眼でしっかりと見極めることにありました。

初日に、普天間基地、嘉手納基地を訪ねたのを皮切りに、様々な戦跡を訪ね、人々と交流いたしました。そのことは、何回かに分けて徐々にご報告いたします。

今回は、まずは帰り旅からご報告します。

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那覇空港を『我が物顔』で離発着する軍用機

那覇発松山行の旅客機は、予定時刻の13時15分になっても、搭乗が始まりません。込み合って予定より遅れる…とアナウンスがありました。
なんでだろう? と思っていたら、30分遅れで搭乗し、旅客機が滑走路に入り、その訳が分かりました。
滑走路には、ずらりと民間機が出発の順番を待っていました。
その旅客機を待たせて、次々と軍用機が離発着しているのです。
軍用機は、特に緊急発進をしているようには見えません。
ずらりと並んだ民間機を差し置いて、軍用機の離発着訓練をしていたのです。
以前に起きた自衛艦と漁船の衝突事故を思い起こしました。まさに『そこのけ、そこのけ軍隊が通る』の状態が目の前で起きていたのです。
轟音を発し、離発着する軍用機にすさまじい怒りが沸き上がりました。
この時は、結局、出発が1時間近く遅れたわけですが、これより非道な事態が、沖縄では日常的に起きているのです。

沖縄の人々は、実に辛抱強い。よく辛抱しているなあ…と感心することしきりでした。

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☝ やっとこさ、松山行が離陸体制に入りました。

機体がふわりと浮かび上がりました。その瞬間をカメラに収めましたが、皮肉にもその横には、多数の軍用機が駐機していました。
すごい数です。この他にも、ヘリや輸送用の軍用機も駐機していて、そこでも離発着訓練を続けていました。

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☝ 空港から海上へ出たところ 那覇の市街はすぐに見えなくなりました

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☝ 九州の町が見えてきました 火口がいくつも見えます

行きも帰りも、天候は曇り空。帰りは九州までは見えるのは雲ばかりでした。
九州に入り,やっと下界が見えてきました。
だけど、ここはどこの町かねえ? 私はあまり飛行機には乗らないので、左の町も右のお山も、どこなのか???です。
火口は霧島当たりなのか? それとも阿蘇の当たりなのか?

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☝ 四国の八幡浜の町が見えてきました。 松山市内。着陸はもうすぐ

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☝ 無事着陸しました

羽を上げ空気抵抗を最大にし、逆噴射で機体をコントロールします。
何とか無事に帰ってきました。
しかし、ホッとしたのは束の間で、実はここから、最大の危機が訪れたのです。

最大の危機…雪の峠道
沖縄を発つときには、半そでシャツでしたが、松山の気温は何と0度でした。慌ててジャンバーを着込んでも寒い寒い…。急いで自分の車に乗り込みましたが、その時はまだ本当の危険に気付いていませんでした。
同行者が他に3人もおり、スマホも持ってるとのことで、交通情報も簡単にわかるだろうと思っていたのです。

市街地をしばらく走り、伊予のICから高速道に入りました。通行止めの表示もないし、そこらはまだ雪も降っていませんでした。
ところが早くも八幡浜辺りで雪がちらつきだし、すぐに高速道通行止めの表示が。おいおい、もっと早く表示を出しといてくれよ。叫んでも遅い。一般道に降りましたが、しばらく走るとどうも、街の様子が変だ。この前変えたばかりのナビに従って走っていたのだが、どうも方向がおかしい。

八幡浜のフェリー乗り場が見えてきて愕然としました。国道56号線を大きく外れて海沿いに出てしまったのです。慌てて引き返し、ここからは記憶と標識を頼りに、一般道を180Kも先の四万十市を目指します。

飛行機が遅れ、その上、道を間違えて、だんだんと日暮れが迫ってきます。
雪の中の一般道…いつ、どこで通行止めになるかもわからない。気は焦るばかりです。
そして、その時、頼みのスマホでの情報取得が不可能であることが分かりました。
なんと保持者がデジタル不適合者だったのです。

スマホは持ってるが、メールと電話だけしか使えないということが判明したのです。
おいおい、そんなこと早く言うといてよ。。。。
とにかく、こうなりゃ行けるところまで行くしかない。下手したら今夜は雪の中のどこかで…つまり立ち往生した時点で泊まるしかないよ。そのことをみんなに納得させて、ひたすら四万十を目指しました。

宇和島の手前で、雪が激しくなってきました。そこに峠がありました。まだ轍の後は黒く、何とか走れます。峠を越えても雪は激しくなるばかり、万一に備えてガソリンスタンドで満タンにしました。

宇和島の市内は、夕方のラッシュと重なり大渋滞。その中をナビ君の示す方向とは違う道を慎重に選び走ります。チェーンは持っていない、ラッシュとナビと四万十たどり着けるかとの不安と雪道への不安で、胃が痛みだしました。(笑)

なんとか宇和島市内の渋滞を抜け出し、道は単純となり、ナビの不安は減りましたが、雪はますます激しくなり、路面が凍り始めました。加速時、ブレーキの時、タイヤの滑る感覚が伝わってきます。ちょうど、津島行の路線バスが前を走り、その後をついていけば、道は迷わないな…と一安心したのもつかの間でした。
バスは頻繁にバス停での停車を繰り返します。その度にブレーキを踏み車が滑ります。氷道独特のゴツゴツゴツの感触がブレーキに伝わってきます。ぶつけないように車が滑らないように車間距離を大きくしました。

そして最大の難所…宇和島市から抜ける峠道に差し掛かりました。
当初から一番警戒していた峠です。ここの坂が一番長くて、雪の積もりやすい場所なんです。
のぼり道の前方に突然黄色いランプが点滅しているのが見えました。
バスは雪タイヤを履いているらしく、すーっと右に出て追い越していきました。
よく見ると乗用車が1台止まっていて、その後ろを軽トラがそろそろと追い越しをかけています。しかし、軽トラ君、腕が悪いのか、車が悪いのか、右に左に滑っています。
徐行しながら様子を見ていましたが、だんだん前方との距離が近づいてきます。止まるか追い越すか決断が迫ってきました。

しかも運の悪いことに対向車が迫ってきます。私の車も、いったん止まってしまうと、次に発進できるかどうか判断が出来ません。下手すると、そのまま立ち往生です。
ええ~い、ままよ。わずかな差で対向車とすれ違い出来ると判断し、スピードを緩めつつも、車を止めないように追い越し車線へ入りました。

乗用車を追い越し、対向車をかわし、軽トラを追い越しにかかると、なんと軽トラが右に滑ってきます。思わず車内から悲鳴が上がりましたが、軽トラ君、何とか体勢を立て直したようで、ぶつからずに済みました。

さて、その後は、徐々にスピード上げ峠を目指します。(私の経験では、雪の上り坂では、下手に徐行するより、前方に車がいない場合は、ある程度のスピードを確保した方が、登りやすい)
そして、なんとか前方にトンネルが見えた時には、大きく息を吐きました。
大体ですが、トンネルは峠の頂上にある場合が多いのです。つまり、これから先は下りになる…ということです。下りは、滑らないように気をつければ、なんとか前方へ進めるから、一安心でした。

その後、もう一度雪の舞うところがありましたが、ほとんど通常運転に戻ることが出来ました。 

夜の10時ころに四万十市へ到着。同乗者たちを、何とか無事に家に帰すことが出来ました。
沖縄でのハードなスケジュールとこの夜の運転で、心身ともにくたくたとなりました。

帰宅して、1日置いて、今日のブログ更新です。まだ頭のどこかが、ぼんやりとした状態です。次回から、私の見てきた沖縄について記載します。

 

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