なかむら9条の会

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辺野古支援に行ってきました⑥沖縄の戦跡巡りその2

前回の続きだ。沖縄2日目は、海軍司令部壕、南風原陸軍病院壕、ひめゆりの塔、魂魄の塔までが前回の話でした。
今日はその続きです。お昼、近くの食堂で今度は『野菜そば』を食べました。沖縄のソバは量が多いですねえ。都会の2杯分は優にあります。

その後、沖縄南部の戦跡を目指しました。

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☝ 韓国人慰霊の塔                                             ☝ 平和祈念資料館   

平和祈念堂をバックにして建っている。石塚を中心に韓国の各地域から集められた石が並ぶ、塚の前の 円形広場にはさまよえる魂のために故国への方向を示す矢印(写真手前)がある。
朝鮮半島から強制的に連行されてきた人々はもっとも立場の弱かった。そのためもっとも危険にさらされ、かつ虐殺された人もいた。いま、この日本の政治を彼ら死した人たちは、何ととらえるのでしょうね。

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☝ 平和の礎の碑
平和祈念資料館の門をくぐると、平和の礎がある。そこには見渡す限りの石板が立ち並んでいる。
圧倒的な思いが立ち上ってきます。

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☝ 石板1枚に約200名前後の氏名が記されている。その数24万余人沖縄戦の全戦没者の数である。ここには、アメリカを含む外国人の名前も記載されています。ここに記された名前の一つ一つが、人の姿として、ここに立ち上がったらどんな光景が現出するでしょう。こんな愚かな戦争は2度としてはならないと思います。

☞ この辺り一帯が摩文仁の丘と呼ばれ沖縄戦最後の激しい抵抗が行われた終結の地です。『ひめゆり学徒』の乙女たちも、この地で自決したそうです。平和の礎から左手に見える丘で第32軍司令長官牛島中将も自決したと言われています。

そしてここに、何と意外な、土佐のジョン・万次郎が日本に帰る第一歩を標した砂浜がありました。
白い矢印の場所がそうです。
ふ~ん、万次郎は、こんな場所から上陸したのか…時代を超えた感動が湧いてきます。
万次郎が上陸したこの浜で60数年後、沖縄の乙女たちが散っていったのか…

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☝ たくさんの遺骨が散らばっていた浜も、今は静かで穏やかな光景が続きます。
☞ 浜にあるS字の形は、海中ケーブルを埋めた跡だそうです。ここが戦場跡だと知ってか知らずか若者たちがサーフィンをしていました。

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☝ 戦死者を悼むかのように、道には赤やピンクのハイビスカスが咲いていた。
かつて、高知県選出の衆院議員・山原健二郎は沖縄に来て、こんな短歌を詠んだ。
                                「仏桑花 そこには咲くな そこは基地 なが紅は 沖縄のもの」

☞ ちょっと辺鄙な場所にあるから寄らない…と言っていたのに、時間があったのかな?
気が付くと、『土佐の碑』についていた。碑は八重瀬町具志頭の丘の上に建っている。祀られているのは18,545名でうち沖縄戦没者832名と南方諸地域戦没者 17,713名となっています。

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☝ 土佐の碑の下は、こんな海岸が…               ☝ 糸数アブチラガマ…戦跡案内人・村上さん

摩文仁から海岸線をさらに南へ行くと南城市がある。つい先日、沖縄最強の保守市長相手に65票差で競り勝った、瑞慶覧長敏(ずけらん・ちょうびん)新市長の誕生したところだ。「神の島」久高島、世界遺産斎場御嶽琉球を造った神「アマミキヨ」が最初に降り立ったとされるヤハラヅカサなど、人と神とがつながる聖地が点在している風光明媚なところだ。

今回我々が訪ねたのは光溢れる南城市にあって、一般的な観光客の姿がほとんど見られない特別な場所。眩しすぎる外界とは真逆の、深い闇に閉ざされた自然洞窟、糸数アブチラガマです。

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☝ 狭い入り口からヘルメットをかぶりガマへと入ります。今日は一体何回ヘルメットを被っただろう。
☞ 階段は最近、保存会の皆さんが自力でつけられたそうです。以前は滑りながら入っていたのかな?

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☝ 中は真っ暗。ここでも懐中電灯が頼りです。ただ洞窟は鍾乳洞だけに広い。
全長270mのこのガマ(自然洞窟)は日本軍の地下陣地として整備されましたが、戦況が悪化すると南風原陸軍病院の分室として使用されるようになりました。およそ600名の負傷兵が運び込まれ、軍医、看護婦とともにひめゆり学徒が看護にあたったそうです。
5月25日に撤退命令が出されると、破傷風や脳症に苦しむ重症患者が置き去りにされ、避難していた近隣の住民とともにアメリカ軍の攻撃に耐えながら、空気穴から入ってくるひと筋の光に生きる希望をつなげ、45人の住民と7人の負傷兵が奇跡的に生き抜きました。
入り口の近くには『命の井戸』と呼ばれた井戸があり、今も滾々と水が湧き流れていました。

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☝ こちらが出口になっています。                   ☝ 聖地・斎場御嶽入り口で記念撮影

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☝ 斎場御嶽から見える久高島                           ☝ 世界遺産斎場御嶽
久高島は、琉球開闢(かいびゃく)の祖アマミキヨが天から舞い降りてきて、ここから国づくりを始めたという琉球の聖地。今も島の人々によって神事が行われ、平和への祈りと感謝が捧げられています。島と言っても山はなく、低いサンゴ礁の台地に見えました。

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                         ☝ ここを含めて周辺一帯を斎場御嶽というらしい

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琉球料理の店・龍潭


前号の分と合わせて、22日の戦跡巡りは終わった。想えば長い1日だった。沖縄に来て1日も、のんびりした日はなかった。毎日がハードスケジュールの連続でした。今日だけでも何回真っ暗な穴倉にもぐりこんだだろう。ヘルメットを被り、長い脚?を縮めて、悪戦苦闘、距離だけでも相当歩いた。普段の1ヶ月分も歩いたのではなかろうか。(笑)

まあ、それでも夕方7時ころから、現地の方たちと交流を兼ねた懇親会が開かれ、何とか疲れを癒しました。
今日1日案内してくださった村上さん始め、宮城さん、下地さん、伊佐村議、村山さん等、現地の方たちにずいぶんお世話になりました。

今回の旅には、面白い余談もいくつかありますが、あまりにも長くなるので、一旦この辺で終了といたします。

また行きたいなあ…沖縄。のどの調子もずいぶん直ってきたしねえ。(笑)

 

 

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